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【旅行】 2020年 ここは外せない いいところが盛りだくさん 仙台市

初めまして、AIWAと申します。

今回は、宮城県仙台市を紹介していきたいと思います。

震災から10年あまりたちます。

温泉旅行に来た家族のイラスト

僕も去年仙台に遊びに行きまし

た。

仙台駅の周辺はだいぶ変わりました。

震災のころの駅とは違い、さらに都会というような印象を受けました。

そんな仙台市を紹介したいと思います。

 

  1. ここはかかせない
  2. 仙台の歴史
  3. おすすめスポット
  4. おいしいグルメ

 

 

4つをてテーマに紹介せていきたいと思います。

 

1 ここはかかせない

 

仙台の駅を見てみてください。

僕は震災直後に訪れていまいした。

 

 

去年行った時には、びっくりしました。

都会になったなという感じでした。

アケード街も少し変わった雰囲気があります。

当時のままというのもありますが、とてもいい雰囲気になっています。

あれから10年たった今、復興したなという実感がありました。

仙台駅、アーケド街は一日いても飽きない。

また都会に行った気分にもなります。

僕が田舎暮らしなのでそんなふうに思うだけかもしれません。

また、夏には七夕祭りがあり多くの人でにぎわいます。

仙台は、多くのアーティスト、有名人が訪れコンサートなんかも頻繁に行われています。

ぜひ行ってみてはいかがでしょうか。

 

 

2 仙台の歴史

 

 

仙台市は、東北地方の宮城県にある市で、東京の北東に位置します。

17 世紀に戦国大名の伊達政宗が青葉山の上に築いた仙台城の遺構から、市内を一望できます。

また敷地内には、青葉城資料展示館が併設されています。江戸時代の歴史や文化をテーマにした仙台市博物館には、政宗公の甲冑が展示されています。

伊達政宗」が「仙台城」を築いたのは、1601年(慶長6年)、「関ヶ原の戦い」を終えた直後のこと。

その当時、上杉氏と緊張関係にあった伊達政宗は、「青葉山」に着目。東は広瀬川の流れる断崖、西は青葉山の自然林、南は瀧ノ口渓谷(たつのくちけいこく)といった自然の要害で守られています。

伊達政宗は、こうした立地を効果的に利用し、広瀬川を外堀とした防御に強い山城を築きました。

そして、「千代」(せんだい)と呼ばれていたこの地の名称を、現在の「仙台」に改めたのです。

伊達政宗は、仙台城の築城と同時に、城下町の造営にも着手しました。町割の基準になったのは、東西を走る大町通りと、南北に走り、奥州街道(おうしゅうかいどう)の交差する「芭蕉の辻」(ばしょうのつじ)です。

そして、この2つの幹線道が基軸となり、碁盤の目状に区画されていきました。

お城に近い広瀬川付近には、重臣の武家屋敷を置き、幹線道沿いは商人を中心とした町人地とし、その周囲を中級から下級の武家地に定めたのです。

さらには、城下の外れに職人のための町人地、そして寺社地というように、大規模な区分けを実施しています。

ちなみに、この当時、武家の住む区域は「丁」(ちょう)、町人の住む区域は「町」(まち)と呼ばれていました。

歴女の皆さんが仙台を訪れた際には、かつて武家地であった名残のある丁が付く地名の場所を、ぜひ探してみましょう。



 

3 おすすめスッポト

 

 

  • 歴史あるところ
  • 冬の風物 イルミネーション
  • 楽天スタジアム

 

 

・歴史ある場所

 

青葉山公園です。

 

青葉山公園は、宮城県仙台市青葉区にある都市公園である。仙台市が管理している。

青葉山の東端から広瀬川右岸にかけての部分を敷地とし、仙台城の跡地の一部やその堀である五色沼、長沼を園内に含んでいる。

 

また、仙台市博物館や仙台国際センターといった公共施設が園内に立地している。

仙台城の本丸跡からは仙台の街並みや、遠く太平洋を眺めることができる。

 

 

 

 

次は鳳鳴四十八滝です。

 

 

鳳鳴四十八滝は宮城県仙台市青葉区にある滝である。広瀬川の上流、国道48号沿いにあります。

落差が25メートル、幅が10メートルあり、青葉区作並と新川の間、両側から山が迫る渓流部で、大小の滝が連なって滝音を周りに響かせています。

 

数は四十八に達しない。四十八滝は江戸時代からある呼び名で、支流まで含めた上流の滝を全部あわせると四十八あるのだとも説かれるが、当時からどこの滝が何番めというようには定まってはいないということです。

かつて棒目木(ぼうめき)の滝とも呼ばれていました。

 

また、「ぼうめきの滝」は数ある滝の中でもっとも大きいものを指したと言われていたそうです。

鳳鳴の名は近代以降に生まれたものらしいが、語源は不明である。

 

大小いくつもの滝があり、それらの滝が奏でる音を鳳凰の鳴き声にみたてたとする説があります。

また別に、かつて天女が舞い降りて舞いをしたという伝説がありました。

 

 

・冬の風物 イルミネーション

 

美しいケヤキ並木通り

定禅寺通を約60万球のあたたかな光が包む杜の都として知ら

れる宮城県仙台市が、光の都へと姿を変える、冬の風物詩「SENDAI光のページェント」。

12月6日(金)には、せんだいメディアテーク前の緑道で点灯式を行う他、12月22日(日)はサンタクロースの格好をした市民が定禅寺通をパレードする

「サンタの森の物語」など、期間中はクリスマスを盛り上げるイベントを開催します。今年で34回目を迎える人気のイルミネーションで、定禅寺通のケヤキ160本に約60万球もの電飾が施され、通りをあたたかく彩ります。

今年はどのようなイベントがあるか楽しみです。

 

 

・楽天スタジアム

 

 

楽天生命パーク宮城」は、プロ野球チーム・東北楽天ゴー

これまでのスタジアムとは少し違い、スタジアムの内外に約60店もの飲食店が並び、さらに観覧車やメリーゴーラウンドなど

 

の様々なアトラクションもあって、まるでテーマパークのようです。ルデンイーグルスの本拠地です。

大人から子供まではば広い年齢まで楽しむことができます。

また、本場のプロ野球が楽しめますので、テレビで見るのとは違う、雰囲気、ものすごい迫力を味わうことができます。

 

 

 

4 おいしいグルメ

 

仙台と言えば、牛タンです。

肉厚で、ジューシーな牛タンはたまりません。

なぜ仙台は、牛タンなのか?

戦後に人と違う商売をするため、研究がされたそうです。

そこで、紹介されたのが牛タンだったそうです。

そしてタンシチューを作り、コクがありうまいということでした。

研究をし、やっと焼いて食べれる牛タンが商品かされたそうです。

 

 

 

 

次に海の幸、牡蠣です。

濃厚な深みのあるかきのはたまらなくクリーミーな味わいです。

牡蠣の生産量は全国3位とです。

また海の幸も豊富にありますので、ぜひ食べてみてください。

 

 

 

 

まとめ

 

今回は仙台のいいところについて紹介させていただきました。

僕は、震災でボランティアとして訪れたことがありここまで復旧しているとは思いもしませんでした。

仙台は100万国の都市と言われております。

ひともあたたかく、歴史ある町です。

震災から、10年大変だった東北地方、仙台市。

まだ爪痕が残っているところもあります。

そんなところを見に行くのもいいかと思います。

ぜひ遊びに行ってみてはいかがでしょうか。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。



 

 

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絆 横のつながりの重大さが分かった 被災地のボランティア

初めまして、AIWAと申します。

今回は、僕が体験した東日本大震災のボランティアの体験をお話しします。

これが4作品目となります。

気になる方はほかのサイトを見ていただけたら幸いです。



 

あらすじ

被災地で、人に喜んでもらう心から『うれしい』が沸き上がってきました。

『ありがとう』の本当の気持ちが伝わった瞬間でした。

また、ごく普通に使っている水道、水、電気本当に当たり前でしたがないと困る!!

毎日ごく普通に生活できていることへの感謝。

ここで僕は学びました。

 

集まった家族のイラスト

 

絆 横のつながりの大切さ

 

被災地を後にして、営業所へ戻っていた僕らはその後もたくさんの利用者の話を聞き、たわいの無い話を繰り返していきました。

また中には助けてほしいという方も大勢見えました。

僕らができる限りの精一杯をさせていただき、心から喜んで見える方々が僕はやってよかったなと思っていました。

そんな時、僕らがやっていることに疑問を感じることもありました。

確かにいろいろな人から感謝され、不満といったことはなかったのですが、お礼にといろんなものを下さる方がたくさんいるからです。

ボランティアにきているのにな、と思いながら。。。

いつもそんな感じで、もやもやしていまいた。

元料理人が未来を切り開く #ヒロ爺|note

 

するとある日、利用者の方が来所されこれどうぞともってきてくださったのです。

僕は、もやもやしながら、、

『ありがとうございます』

といい受け取りました。

やはりなんだか、もやもやがおさまらなかったので利用者の方に聞いてみました。

『なぜ、いま大変なのに僕らにいろいろとものをくれるのですか?』

と僕は言いました。

利用者

『何をいっているの!あなたたちが来てくれたおかげで、みんな救われているのよ。こんなものでしかお返しができないから申し訳ないけれど、私たちの元気の素はあなたたちのその笑顔なの!!』

 

このように言われたとき、僕は本当にうれしかった。

 

思い込みが明るい未来を作るのだ!〜スタイリスト青木貴子がナビ | GINGERweb[ジンジャーウェブ]

 

特にとりえのない僕が、また平凡に生きてきた僕を必要としている人がいる。

また大したことはしていないが、こんなに喜んでくれる人がいる。

いろんな人とのコミュニケーションをとるうちに仲良くなり絆が生まれる。

確かにここが落ち着いたら僕らは、いろんなところに行く。

しかしここの人たちは僕らのことを決して忘れることはないと確信した。

助け合って生き抜いた仲だから!

このようにいろんな人と出会い、これからは何か困っている人に、自分に何ができるかを考え少しでも役に立ってたらいいなと思う自分がいました。

こんな言葉を言っている人のことを思い出しました。

 

 

『生きて死んでいる人よりも、死んでもなお生き続ける人になれ』

今こそ明るい未来予測 先行き不安を吹き飛ばせ:日経ビジネス電子版

 

 

この言葉は、僕の目標です。

生きていて何もしない。それでは生まれてきた価値がないと思います。

確かに何のために生まれてきたかわかりませんが、生まれた以上は後悔する人生ではなく、意味のある人生を歩んだほうがいいと思います。

また死んでも自分のことが多くの人に、あいつこうだったよなとか、あの人いい人だったよなとか、死んでも親しまれる人になりたいと僕は思います。

英雄とまではいかないですが、少しでも自分のことが話題になるといいなと思います。

そんな人生を送れたら最高だと思います。

 

少し話がずれたので戻します。。。

大きな地震を体験し、全世界からメッセージをいただきまたお金をいただき、復興に向けて多くの方々が東日本に協力しました。

自然の力とは人間では立ち向かえません。

これから先何が起こるか分からない世の中、今こそ人と人が手を取り合って生きていくことが大事だと思います。

助け合い、支え合い、許し合う仲間がいっぱいいると僕はうれしいです。

 

そして、あなたのそばにいる人が困っているなら手をかしてあげてください。

ささいなことでもいいと思います。

そんなことを続けていると、きっとあなたも幸せになれると思います。

 

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

 



 

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ありがとうの言葉が忘れられない 震災ボランティア体験

初めまして、AIWA と申します。

気球に乗った家族のイラスト

 

今回は、僕が体験したボランティア活動のこと

を紹介していきます。

これは3作品目となっています。

前のことが書いてあるので是非見てください。

 

あらすじ

荒浜を見に行って、衝撃のあまり言葉がでなくなった。

悲惨な姿と、絶望、悲しみに包まれた町。

そんな中、営業所を開放し何かできないかと相談、話し合い、ができる空間を作った。

 

笑顔効果で人に好かれるようになる7つの笑顔の作り方 | OneStep Advance

 

営業所を立ち上げてから、たくさんの方が来られ地元の人たちの安否確認。

大丈夫だったことを確認でき喜ぶ地元の人たち。

そんな中、僕たちは感謝される日々を毎日体験しました。

何もするわけでもなく、たわいのない話をしているだけでした。

そんな中、利用する人たちから

『あなたたちが来てくれて、元気が出たよ。ありがとう』

この時、僕は特に何をするわけでもなかったのになぜこんなに感謝されるのだろうと思っていました。

そんな中、一人の利用者から悩みの相談が。。。

実は、荒浜に家があるのだが、砂まみれになり掃除をしてほしいということでした。

僕らは、少しでも役に立てればと思いそのお宅に後日お邪魔させてもらうことにしました。

 

 

 

コロナ用心」外出控えよう 越谷市消防本部が巡回 /埼玉 - 毎日新聞

 

 

後日、そのお宅にお邪魔することになりました。

また2時間くらいかけ、荒浜に向かい、だんだん近づくにつれて、景色が一変しました。

お宅に到着すると、家の中は砂で埋まっており、また家の周りにも砂がたくさんありました。

そして、家の中をスコップで砂をかきだしました。

手袋にマスク、そして長靴。

このような準備をして作業にとりかかりました。

いまだに覚えているのが、異臭です。

強烈なにおいがただよっていました。

油のにおい、海水のにおい、何とも言えない生臭いにおいが今でも忘れられません。

そして、作業をしていると利用者が、、

『昨日、私の庭で2体の遺体が発見されてんだ』

と言いました。

本当に悲劇だなと思います。

こんなところにまた住みたいものなのかと、僕は思ってしまいました。

またその利用者が、、

『私もなかなか離れられなくてね』

そう、自分が生まれた地、自分が育ったところからはなかなか離れられないのです。

思いでがいっぱい詰まった土地には愛着がわくものです。

そして作業が着々と進む中、お昼の休憩をすることにしました。

そこで、僕らは手を洗おうとしましたが、なんと水が出ないのです。

 

本当に困りました。

普段から何気なく使う水、水道が使えないのです。

この時本当に水がごく普通に使えるのが、ありがたいことなのだなと実感しました。

そのまま、ご飯を食べることになったのです。

みんなでわいわいしながらご飯を食べ、また作業にとりかかりました。

そしてようやくきれいになってきて作業を終了しました。

帰りぎわに、利用者が涙を流しながら、

ありがとう、ありがとう

と僕らに頭を下げてくださいました。

 

 

笑う許す感謝する 生き方のお話〜episode1. 「素直と意地 真逆の背中合わせ」 | 癒し・健康情報のトリニティ |  女性に向けた癒し・健康情報を配信

 

 

 

こんなに感謝されるのは生まれて初めてで、本当にやってよかったなと心から思いました。

そして、僕らは営業所に戻っていきました。

 

今回はここまでにしたいと思います。

心から感謝される喜び。

また普段ごく普通に使っている水道、水のありがたさを肌で実感しました。

本当に災害があったときに水がないと不便です。

また電気もそうです。

ごく普通に使っていますが、それがないと本当に不便です。

僕はそれを肌で感じ、今でもあることが当たり前と思わず感謝しているつもりです。

この続きはまた今度書きます。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 



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東日本大震災でのボランティア 体験②

海外の子供のために働く人のイラスト(男性)

初めまして、AIWAと申します。

今回ご紹介するのは、僕が体験した、震災の時のボランティア活動を紹介していきたいと思います。

前回①を出していますので、今回は②を紹介します。

あらすじ

僕は震災がいた当初、東京にいました。

ものすごい揺れを感じ、営業所に帰りテレビを見ると黒い液体が町を飲み込んでいました。

東京も震度6弱を観測し、駅のホームで1夜を過ごす人が大勢いました。

数日がたち、上司に呼ばれ、、、

『仙台に行って来い!』

と言われました。

言葉を失う、ボランティア隊

僕らは、仙台に到着し旅の疲れを取るため営業所で休みました。

震災当初は水が使えない、お風呂に入れない、トイレの水が出ないということもあり、それが1週間続いたそうです。

僕らが仙台に行った当初はライフラインが復旧しておりお風呂も、トイレの水もすべて使えるようになっており普通の生活ができました。

英会話の最中、外国人が表情豊かにみえるのはどうして? | English Lab(イングリッシュラボ)┃レアジョブ英会話が発信する英語サイト

そして、次の日。

久しぶりに会う、同期と楽しく会話をしていると、上司から

『お前ら、幸せだな。。。』

と、笑いながら言われました。

仙台市は、そこまで外傷がなく、少し壊れているだけといった感じで、『ひどい!』という感じではなかったのです。

そして、上司が、みんなを集め、、、

これから、被災地を見に行くと僕らに言いました。

津波で多くの人が犠牲になり、テレビで見たあのところでした。

荒浜を視察しに行きました。

到着まで、2時間くらいだったと思います。

また僕らは、車の中でたわいもない話をしてはしゃいでいました。

上司に、

『あと少しで着くぞ!』

と言われ、

車の外を見ると、さきほどまでガヤガヤしていた車の中が静まりかえりました。

近づいてくると、あたりの景色が一変したのです。

震災遺構 仙台市荒浜地区住宅基礎|東北DC観光素材集 | 旅東北 - 東北の観光・旅行情報サイト

映画で見る、戦争の焼け野原状態でした。

当たりは、何もなく、がれき、壊れた家、看板、何より海のすなが広がっていました。

あそこは、駅だったんだ、、、

と上司が言うが、全く原型がなく、本当に駅だったの⁈

というぐらいでした。

本当に言葉がありません。

少し走ると海が、見えてきました。

海はおだやかで、人間に牙をむいたなんて考えられませんでした。

そして、丘に登り荒浜区を一望できるところにやってきました。

東日本大震災(⑧;仙台市付近沿岸の津波被害(1)) - とりあえずやってみっかなぁ

ひさんでした。

言葉がありませんでした。

大きな悲しみ、絶望しか残っていなかった。

上司に言われた、、

『お前ら、幸せだな。。。』

よく理解できました。

そして死者、行方不明者、合わせて2万2000人余りという結果に、、

目のあたりにした僕らは、帰りの道中誰一人として言葉を口にするものはいませんでした。

それくらい悲惨だったのです。

営業所につくと、みんなぐったりでした。

休む間もなく、、

ミーティングが行われました。

この場所を開放し困っている、また少しでも元気になってもらうために、話し相手ができる、そんな場所を作りました。

そして、次の日から営業を開始したくさんの人がここをおとずれまいした。

今日はここまでにしたいと思います。

視察に行ったときは本当にびっくりしました。

テレビでしか見ていないので、現場は本当に悲惨でした。

ここから、お客さんのエピソード、体験、僕らが何をしてきたかが始まります。

この続きは今度書きたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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東日本大震災でのボランティア 体験①

初めまして、AIWAと申します。

地震のイラスト「大きな津波」

今回は、震災でボランティアをした時の体験を書きたいと思います。

東日本大震災から、はやくも10年近くたちました。

僕は、発生直後東京の上野にいました。

東京もかなり揺れましたが、テレビを見てびっくりしました。

黒い水が町を飲み込んでいるのが、今でも覚えています。

僕は、外回りで営業に出ていました。

営業はしんどいもので、ピンポンを鳴らしても居留守が多く時々出てきてくれるのですが、なかなか話を聞いてくれません。

そんな時、道を歩いているとカタカタという音が聞こえその音は一気に大きくなり立っていられないくらいの揺れを体験しました。

一瞬僕はこう思いました。

『あッ!! 終わった。』

こんなことを思いました。

目の前のビルが激しく横に揺れていました。

何とか揺れがおさまり、

『生きてる!!』

と思いました。

次の瞬間、先ほどインターホンを鳴らした家から、人が出てくる、出てくる!

僕は、『おるなら、出てこいや!!』

と思った瞬間でした(笑)

避難所生活のイラスト(困った顔)

営業所に戻り、テレビを見ると、とんでもない光景を目の当たりにしました。

黒い液体が、町を飲み込んでいるのです。

これは、津波と報道されておりこんなことが起きるなんて信じられませんでした。

東京でも、停電が相次ぎ電車が止まってしまいました。

駅のホームで1日を過ごす人がかなりいました。

夢か現実か分からなくなった瞬間でした。

そして、数日が過ぎたころ。

上司に呼ばれ、お前仙台に行ってこい!と言われました。

あまりに突然すぎて、頭が真っ白になりました。

なぜ僕が、意味が分からん!と思いながらも、上司の言っていることなので断りもできず、行ってきますといい1週間後に出発することになったのです。

この時僕の営業所は全国にあり、そこから、10名ほど選出され仙台へ行くことになっていました。

営業所からは、若手が選ばれており僕の同期が6名、先輩が4名選ばれていました。

そして、僕は職場からボランティアに行けと上からの指示で、宮城県・仙台市にある支店へと行きました。

仙台市はそこまで、ひどいものではなかったのですが地震による影響がビルにきれつが入っており、地面が浮き上がっているのが見えました。

仙台に到着して、支店についてみると、壁にきれつが入っているのが確認できました。

ここに来た人数が10名ほどいました。

そこの支店の先輩に指示を仰ぎ、

『明日から、お客さんのところを復興しに行くぞ‼』

と言われ、長旅で疲れている体を休ませ1日目は終わりました。

ここで、僕らは復興支援を3か月行うことになったのです。

仙台市はそこまでひどいということはなかったのですが、他がひどいことになっていました。

ここで学んできたことをここに書いていきたいと思います。

続きは、また今度書こうと思います。