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東日本大震災でのボランティア 体験②

海外の子供のために働く人のイラスト(男性)

初めまして、AIWAと申します。

今回ご紹介するのは、僕が体験した、震災の時のボランティア活動を紹介していきたいと思います。

前回①を出していますので、今回は②を紹介します。

あらすじ

僕は震災がいた当初、東京にいました。

ものすごい揺れを感じ、営業所に帰りテレビを見ると黒い液体が町を飲み込んでいました。

東京も震度6弱を観測し、駅のホームで1夜を過ごす人が大勢いました。

数日がたち、上司に呼ばれ、、、

『仙台に行って来い!』

と言われました。

言葉を失う、ボランティア隊

僕らは、仙台に到着し旅の疲れを取るため営業所で休みました。

震災当初は水が使えない、お風呂に入れない、トイレの水が出ないということもあり、それが1週間続いたそうです。

僕らが仙台に行った当初はライフラインが復旧しておりお風呂も、トイレの水もすべて使えるようになっており普通の生活ができました。

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そして、次の日。

久しぶりに会う、同期と楽しく会話をしていると、上司から

『お前ら、幸せだな。。。』

と、笑いながら言われました。

仙台市は、そこまで外傷がなく、少し壊れているだけといった感じで、『ひどい!』という感じではなかったのです。

そして、上司が、みんなを集め、、、

これから、被災地を見に行くと僕らに言いました。

津波で多くの人が犠牲になり、テレビで見たあのところでした。

荒浜を視察しに行きました。

到着まで、2時間くらいだったと思います。

また僕らは、車の中でたわいもない話をしてはしゃいでいました。

上司に、

『あと少しで着くぞ!』

と言われ、

車の外を見ると、さきほどまでガヤガヤしていた車の中が静まりかえりました。

近づいてくると、あたりの景色が一変したのです。

震災遺構 仙台市荒浜地区住宅基礎|東北DC観光素材集 | 旅東北 - 東北の観光・旅行情報サイト

映画で見る、戦争の焼け野原状態でした。

当たりは、何もなく、がれき、壊れた家、看板、何より海のすなが広がっていました。

あそこは、駅だったんだ、、、

と上司が言うが、全く原型がなく、本当に駅だったの⁈

というぐらいでした。

本当に言葉がありません。

少し走ると海が、見えてきました。

海はおだやかで、人間に牙をむいたなんて考えられませんでした。

そして、丘に登り荒浜区を一望できるところにやってきました。

東日本大震災(⑧;仙台市付近沿岸の津波被害(1)) - とりあえずやってみっかなぁ

ひさんでした。

言葉がありませんでした。

大きな悲しみ、絶望しか残っていなかった。

上司に言われた、、

『お前ら、幸せだな。。。』

よく理解できました。

そして死者、行方不明者、合わせて2万2000人余りという結果に、、

目のあたりにした僕らは、帰りの道中誰一人として言葉を口にするものはいませんでした。

それくらい悲惨だったのです。

営業所につくと、みんなぐったりでした。

休む間もなく、、

ミーティングが行われました。

この場所を開放し困っている、また少しでも元気になってもらうために、話し相手ができる、そんな場所を作りました。

そして、次の日から営業を開始したくさんの人がここをおとずれまいした。

今日はここまでにしたいと思います。

視察に行ったときは本当にびっくりしました。

テレビでしか見ていないので、現場は本当に悲惨でした。

ここから、お客さんのエピソード、体験、僕らが何をしてきたかが始まります。

この続きは今度書きたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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